2015年10月25日日曜日

修学旅行 一日目

ぼくは、10月21日から10月23日まで長崎に修学旅行にいっていました。

ここでは、一日目のことについて書きます。

1日目は、7時までに学校につくというとんでもない内容でした。

潤くんと一緒に学校に行くと、もう55分になっていて、なかなか危なかったです。

出発式を終え、バスに乗るとバスガイドさんがいろんなお話をしてくれました。

また、いろんなクイズや占いもしてくれて、全然退屈しませんでした。
 
バスに揺られて3時間ほどすると、長崎に到着しました。

長崎につくと、まず原爆資料館にいき、原爆がどんなに恐ろしいものかを勉強したり、被爆された方はどのような病気にかかるか、どのような症状がでるかなどを勉強したりしました。原爆資料館を出ると、原爆落下中心地にいき、原爆当時の地層などを覗いたあとに、平和公園にいきました。

そこで、平和集会をひらき、亡くなった方々に全校の生徒で折った折り鶴を捧げ、「折り鶴」という歌を歌いました。

平和公園にある平和祈念像はとてもでかくてびっくりしました。

土台だけで3メートルあり、本体は9,6メートルもあるのです。

また、いろんな国から送られてきた像や、「長崎の鐘」を見たあとに、原爆被爆者の方の話を聞きました。

その方は、腹、足、腕をおおやけどし、特に、足の怪我がひどかったらしく、3回も手術を受けたそうです。

指は変な方向に曲がり、足のすねの下部分の皮膚がただれてなくなっていて、写真もみせてくれました。

とても可愛そうだと思いました。

しかも、学校は山道を登ったところにあるので大変だし、冬場は雪がつもり足がかじかんで石を素足でふみ、血を流しながら学校に行った日もあったそうです。

僕だったら耐えられないなと思いました。

被爆者の方のお話を聞き終わると、フィールドワークの始まりです。

フィールドワークでは、まず山里小学校にいき、防空壕やあの子らのおかなどをみて、次に如己堂へ行き、最後に浦上天主堂と鐘楼ドームをみて、一本柱の鳥居をみました。

如己堂は、本当に狭くてびっくりしました。

永井隆博士は、こんなに狭い部屋で名作を何本もだしたなんてすごいと思いました。

しかも、怪我を負っていたのだからもっとすごいと思います。

浦上天主堂には、イエスキリストの像などがあり、鐘楼ドームはとても悲惨なことになっていました。

鐘楼ドームは、重さ50トンもあるのに、爆風で35メートル落ちていき、その後夜の大火災で更に北側の川底へと落下したそうです。

その時、不安な夜を過ごしていた町内の人々はまた空襲が来るのではないかと恐れおののいたそうです。

一本柱は鳥居の半分が本当になくて、びっくりしました。

どうしてこの状態で立っているのだろうと、不思議に思いました。

一本柱などを見終わると、次は路面電車に乗って出島に行きました。

路面電車はどこへ行っても60円なのでとても安いなと思いました。

出島には、オランダの船長の部屋、武士の格好をした人、参勤交代のフィギュアなど色んな物がありました。

フィギュアはとても小さくて、しかもたくさんあったので、作った人はとてもすごい人なんだなと思いました。

出島を出てバスに乗り、佐賀県にあるホテル 佳翠苑皆美に泊まりました。

ぼくは、宏くんと潤くんとじょうたくんと一緒の部屋班で、かくれんぼをしたりしました。

夜ご飯はとても量が多くて一応食べきれたけど、とてもお腹パンパンになってしまいました。

ちなみにメニューは、鮭や味噌汁などの和食が多かったです。

ご飯を食べ終わると、嬉野温泉という温泉に入りました。

嬉野温泉のお湯はとてもぬめぬめしていて、かいくんとみちとくんがこけそうになっていました。

また、温泉は貸し切りだったのでみんなとはしゃぎすぎてなかなか汗がひかなかったのでとても暑かったです。

上がった後の扇風機が最高でした。

夜の班長会議が終わって消灯時間になり、部屋班のみんなと布団の中でおしゃべりしていたら、10時から喋り始めていて、気づいたらもう12時でした。

2時間の間喋ったり笑ったりしていたので、喉がかれてしかも笑いすぎてほっぺも痛かったです。

そして、もう寝ようと僕がいって、目を閉じて一瞬で寝てたよと潤くんたちが教えてくれたので、そんなに疲れていたんだと思いました。




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